なんですかこの寒さは。
コートはとっくにクリーニングに出しちゃったし(困)
ダウンまで出したじゃないですか〜。
しかないからロングカーディガンですよ。 重いよー。
連載中
《薫る春》… 広大な屋敷なのに、どこへ行ってもなぜか一人になれない…(笑)
では、親しみやすい顔の演技派女優、ジェーン・ワイマン(1917〜2007)の続きです。
1948年、ジェーンは、『ジョニー・ベリンダ』という映画の脚本を貰いました。
ベリンダ・マクドナルドという彼女の役は、耳と口が不自由な聾唖者。
それで、ジェーンは数ヶ月かけて手話を習い、撮影に臨みました。
共演者は、リュー・エアーズという穏やかなハンサム中年。
『西部戦線異状なし』の主役を演じて有名な俳優でした。
撮影が進むにつれて、ジェーンとリュー・エアーズが熱烈な恋に落ちているのではないかという噂が立ちました。
その噂は雑誌やゴシップ新聞に書かれて話題になりましたが、ジェーンとロナルドの夫婦はどちらも固く口をつぐんで、何もしゃべりませんでした。
ジェーンがアカデミー賞を獲得した後、夫妻はひっそりと離婚します。
しばらく、恋愛は続いているといわれていたものの、ジェーンは結局、リューとは再婚しませんでした。
その後もジェーンの活躍は続きます。
テネシー・ウィリアムズ原作の『ガラスの動物園』では、感受性が強すぎて社会の風に耐えられない妹を演じ、カーク・ダグラス扮する兄とと共に絶賛されました。
1951年の『青いヴェール』と、1954年の『心のともしび』で、またアカデミー賞候補になり、1952年のミュージカル『Just For You』では、ビング・クロスビーと息の合った歌を聞かせました。
1956年の『雨の夜の慕情』で、いったん映画出演をやめ、テレビでジェーン・ワイマン劇場に出て、お茶の間の人気者になります。
このドラマシリーズで、2度エミー賞を受けています。
映画では、その後『ポリアンナ』などにゲスト出演して、1969年を最後に引退。
1980年代からは、たまにテレビ出演するぐらいで、悠悠自適の生活を送るため、カリフォルニアのランチョンミラージュに豪邸を建てて住み着きました。
ジェーンが一番イヤだったのは、元亭のロナルドが大統領に出馬してからの8年間、何かにつけて、新聞記者たちに「レーガンさんは昔どんな様子だったか教えてください」とインタビューされることだったそうです。
ジェーンは、その種の質問には一切答えませんでした。
同じように、レーガン大統領も、元の妻に関してまったく何も言わなかったそうです。 もちろん、悪口も。
それでも、ジェーンは常にロナルド・レーガンに票を入れていましたし、亡くなったとき、葬儀に参列しています。
そして、彼が世を去ってしばらくしてから、やっと本心を語りました。
「あんなに優しくて思いやりのある人を失って残念だと思います」
ジェーンは、ロナルドと別れてから、フレッド・カーガーという男性と結婚しました。
一度別れて再婚し、1965年に最終的に離婚しています。
明るくて人に好かれるタイブのジェーンは、芸能人にも友達がたくさんいました。
特に親しかったのは、理知的な美人バーバラ・スタンウィックや南部美人のロレッタ・ヤング、名脇役のアグネス・ムーアヘッドなど。
ロレッタとはカトリック信仰も同じで、二人で仲よく教会に通ったそうです。
子供は、ロナルドとの間にモーリンという女子が一人、養子のマイケル(男子)が一人。
どちらもよくできた子供たちで、モーリンは役者をしながら政治関係の本を書き、財団を経営する才女でしたが、運悪くメラノーマという皮膚癌にかかり、2001年に母親より早く亡くなっています。
マイケルのほうは事業家で、母の近くに住んでずっと面倒を見ていたそうです。
孫は全部で13人(立派)
ジェーンは2007年に自宅で静かに世を去りました。
そのとき、生年月日のことで議論になり、年齢を3歳「年上に」サバを読んだ女優として話題になりました。
ふつう、若く言いたいものですよね〜。
でも、ジェーンさんは、初めて結婚したときに16歳を19歳と言ってしまったものだから、訂正せずにそのまま通していたのです。
それで、没年93歳→90歳と記録が書き直されました。
見栄を張らない人だったんですね〜。
web拍手ありがとうございます! もうちょっとで書き終えそうです(嬉) できれば明日小話をアップしたいんですけどね〜。 早く帰れることを願う!
☆ コメント返しはこちらです♪ ↓
コートはとっくにクリーニングに出しちゃったし(困)
ダウンまで出したじゃないですか〜。
しかないからロングカーディガンですよ。 重いよー。
連載中
《薫る春》… 広大な屋敷なのに、どこへ行ってもなぜか一人になれない…(笑)
では、親しみやすい顔の演技派女優、ジェーン・ワイマン(1917〜2007)の続きです。
1948年、ジェーンは、『ジョニー・ベリンダ』という映画の脚本を貰いました。
ベリンダ・マクドナルドという彼女の役は、耳と口が不自由な聾唖者。
それで、ジェーンは数ヶ月かけて手話を習い、撮影に臨みました。
共演者は、リュー・エアーズという穏やかなハンサム中年。
『西部戦線異状なし』の主役を演じて有名な俳優でした。
撮影が進むにつれて、ジェーンとリュー・エアーズが熱烈な恋に落ちているのではないかという噂が立ちました。
その噂は雑誌やゴシップ新聞に書かれて話題になりましたが、ジェーンとロナルドの夫婦はどちらも固く口をつぐんで、何もしゃべりませんでした。
ジェーンがアカデミー賞を獲得した後、夫妻はひっそりと離婚します。
しばらく、恋愛は続いているといわれていたものの、ジェーンは結局、リューとは再婚しませんでした。
その後もジェーンの活躍は続きます。
テネシー・ウィリアムズ原作の『ガラスの動物園』では、感受性が強すぎて社会の風に耐えられない妹を演じ、カーク・ダグラス扮する兄とと共に絶賛されました。
1951年の『青いヴェール』と、1954年の『心のともしび』で、またアカデミー賞候補になり、1952年のミュージカル『Just For You』では、ビング・クロスビーと息の合った歌を聞かせました。
1956年の『雨の夜の慕情』で、いったん映画出演をやめ、テレビでジェーン・ワイマン劇場に出て、お茶の間の人気者になります。
このドラマシリーズで、2度エミー賞を受けています。
映画では、その後『ポリアンナ』などにゲスト出演して、1969年を最後に引退。
1980年代からは、たまにテレビ出演するぐらいで、悠悠自適の生活を送るため、カリフォルニアのランチョンミラージュに豪邸を建てて住み着きました。
ジェーンが一番イヤだったのは、元亭のロナルドが大統領に出馬してからの8年間、何かにつけて、新聞記者たちに「レーガンさんは昔どんな様子だったか教えてください」とインタビューされることだったそうです。
ジェーンは、その種の質問には一切答えませんでした。
同じように、レーガン大統領も、元の妻に関してまったく何も言わなかったそうです。 もちろん、悪口も。
それでも、ジェーンは常にロナルド・レーガンに票を入れていましたし、亡くなったとき、葬儀に参列しています。
そして、彼が世を去ってしばらくしてから、やっと本心を語りました。
「あんなに優しくて思いやりのある人を失って残念だと思います」
ジェーンは、ロナルドと別れてから、フレッド・カーガーという男性と結婚しました。
一度別れて再婚し、1965年に最終的に離婚しています。
明るくて人に好かれるタイブのジェーンは、芸能人にも友達がたくさんいました。
特に親しかったのは、理知的な美人バーバラ・スタンウィックや南部美人のロレッタ・ヤング、名脇役のアグネス・ムーアヘッドなど。
ロレッタとはカトリック信仰も同じで、二人で仲よく教会に通ったそうです。
子供は、ロナルドとの間にモーリンという女子が一人、養子のマイケル(男子)が一人。
どちらもよくできた子供たちで、モーリンは役者をしながら政治関係の本を書き、財団を経営する才女でしたが、運悪くメラノーマという皮膚癌にかかり、2001年に母親より早く亡くなっています。
マイケルのほうは事業家で、母の近くに住んでずっと面倒を見ていたそうです。
孫は全部で13人(立派)
ジェーンは2007年に自宅で静かに世を去りました。
そのとき、生年月日のことで議論になり、年齢を3歳「年上に」サバを読んだ女優として話題になりました。
ふつう、若く言いたいものですよね〜。
でも、ジェーンさんは、初めて結婚したときに16歳を19歳と言ってしまったものだから、訂正せずにそのまま通していたのです。
それで、没年93歳→90歳と記録が書き直されました。
見栄を張らない人だったんですね〜。
web拍手ありがとうございます! もうちょっとで書き終えそうです(嬉) できれば明日小話をアップしたいんですけどね〜。 早く帰れることを願う!
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ひとことより
22:21 の方、《金の声・鉛の道》を楽しみにしていてくださって、ありがとうございます!
リーゼはこれから激動の道へ踏み出していきますが、成功に伴う苦労話は早く切り上げて、できるだけすみやかにヴァル氏と再会させてあげたいと思っています(もう充分に長い長〜い話になっとりますが) これからもよろしく。
《?》、《もしもし…》にご感想を寄せてくださった方々、ありがとうございました!
「おもしろかったです」と言ってくださって、感謝〜☆

