恋愛小説サイト『地リスの応接間』管理人がトボトボ綴る、更新に関する記録です。
雨が続く
週間予報が変わって、月曜日までずっと雨だそうです(ガッカリ)







連載中
《手を伸ばせば》… その昔、イギリスでは身分が高いと絞首刑ではなく、斬首刑になりました。
首を切るほうが痛いような気がするんですけどねえ…
ただ、19世紀には首切りは廃止になっています。






では、ポッパー(ポンポン言う人)という仇名があるというヘレン・ミレン(1945〜)の、次の作品を。

それは、1979年に作られたイギリス版タイタニック事件映画、『失われた航海』です。

監督はビリー・ヘイル。
脚本は、『ミスター・ノース/風を運んだ男』のジェームズ・コスティガン。
撮影はクリス・チャリスで、音楽はハワード・ブレイクです。


では、あらすじを。
1912年4月10日正午、世界の注目を集めて、イギリスの超豪華船“タイタニック号"が、華やかな見送りの中サザンプトン港を出港。
ニューヨークへ向けて処女航海の旅に出ました。

この豪華客船の所有者ブルース・イズメイ(←イアン・ホルム)は、誇りに胸ふくらませて、乗客の紳士方にあいさつしていました。
注目された船だけに、一等船室には、世界の社交界を代表する富豪や名士たちが大勢乗っていたのです。

乗客の一人ジョン・アスター(←デイヴィッド・ジャンセン)は、2度目の妻と航海を楽しんでいました。
裕福で気まぐれなモリー・ブラウン(←クロリス・リーチマン)は、自分の注目度を上げようとして、アスターに近づきます。

一等の豪華さとは対照的に、三等船室は、アイルランドからの移民で埋まっていました。
そこに、美しく内気な娘ロザリーン(←アントワネット・オレイリー)とマーティン(←ジェラルド・マクソーリー)の若いカップルがいます。

また、一等と三等にはさまれた二等では、アメリカの学校教師リー(←スーザン・セント・ジェームズ)がローレンス(←デイヴィッド・ワーナー)と親しくなります。
でも彼らは決して一等にも三等にも姿をみせませんでした。
それは、船室の等級にも表われた、“中産階級"としての意識からでした。

タイタニック号の設計者であるトーマス(←ジェフリー・ホワイトヘッド)は、徹底した完全主義者。
ほとんどいつも船の整備ばかりやっています。

白い髯が印象的なスミス船長(←ハリー・アンドリュース)は、長期間無事故記録の保持者で、こちらも船の点検に余念がありませんでした。

しかし、運命のときが刻一刻と近づいていました。
気温は急激に下がり、流氷が船員たちの目に入ります。

まもなく、最初の鋭い衝撃がタイタニック号を襲いました。
大きな氷山との衝突でした(!)

浸水はどんどん勢いを増し、船長、イズメイ、トーマスらは、緊急会議を開いて〈S・O・S〉を発信。

偶然、この避難信号を耳にした貨物船“カルパチア号"の無線技師は、船長に知らせました。
ただちに船路を変更し、救助に向かったカルパチア号がタイタニック号の近くに到着した時、すでに機関室は地獄と化していました。

避難が始まり、、まず一等船客が救命艇に向かいました。
ついで二等船客、アイルランド人たちの三等船客の誘導が始まります。

しかし、乗客たちの混乱だけでなく、救命艇の数があまりにも少なく、船内はパニック状態に陥りました。
海に飛び込む者、子供を見失う者など、凍りつく流氷の中で沈んでゆくタイタニック号の悲劇は、増していくばかり(悲)

4時間後、救助に来たカルパチア号の乗務員が見たのは、救助艇の小さな一団でした。
冷たい流氷に囲まれて、夜明けの海上をのろのろと動いていました。

乗客、乗員2220名のうち1517名が死亡、救出された703名は、主に女性と子供でした。
多くの悲劇を飲み込んで、タイタニック号はいまなお北大西洋の海底に眠っています。


*  *  *

他にも1915年のルシタニア号や1916年ブリタニック号の沈没(どちらもドイツの攻撃で)とか、船の惨事はたくさんあるのですが、タイタニック沈没事件は謎が多く、おまけに亡くなった乗客に有名人がてんこ盛りだったため、稀に見る悲劇として、何度も映画化されました。

最初に映画になったのが、なんと事件の一ヵ月後(速)
乗客の一人で、命を救われた女優のドロシー・ギブソン(当時22歳)を主役にして、エクレア・フィルムというアメリカの会社が作ったサイレント映画です。

ドロシーは、映画ヒットのごほうびとして、母親とフランス旅行を楽しんでいました。
その途中、新作の話がまとまったからすぐ帰れ、という電報を受け取り、シェルブールの港からタイタニックに乗ったのです。

彼女は一等船客だったため、真っ先にボートに乗って船から離れ、タイタニックが沈没していく様子を目撃することになりました。
その恐ろしさ、悲しさが記憶に焼きつき、映画に出たくないと断ろうとしましたが、収益を犠牲者に寄付するから、と言われ、しぶしぶ出演しました。

でも、映画会社の本心は、ニュース価値があるうちに作って売ろうというだけのもの(あざとい)
内容も、ドロシーの証言とは異なり、いいかげんなものだったらしいですし、事故直後に映画化するなんてあさましいと非難され、裁判に持ち込まれる騒ぎに。

動揺したドロシーは自動車事故を起こし、人気ガタ落ち(気の毒)
すっかり映画界が嫌になって、フランスに行ってしまい、1946年に亡くなるまでアメリカには戻りませんでした。

彼女の写真が、コチラに。
いかにも20世紀初頭らしい服装で、巨大な帽子が目立ちますね〜。


この時代は、まだ騎士道精神が残っていて、乗客の男性は女性や子供を先に逃がしました。
最も、映画の中にも出てきますが、小学校の若い女性教師が席を譲って、人の命と引き換えに犠牲になったという美談も残っています。

実際には、船主が女装してボートに乗ったようだ(苦い笑)とか、うさんくさい話も多いのですが。

こうして、古きよき時代の象徴として、タイタニックの悲劇は語り継がれ、何度も映画になっています。
モノクロ時代の最高傑作といわれているのは、イギリス映画の『SOSタイタニック 忘れえぬ夜』(1958年)です。
史上はじめて使われた救助信号、SOSを、必死にタイタニックの電信係が打ち続けるシーンが印象的でした。

この『失われた航海』は英米合作のテレビ用映画。
それまでの映画は一等の豪華さと三等の悲劇を描いたものが多い中で、二等船客のロマンスも出しているのが新鮮です。

寄り道ですが、ディクスン・カーという、けれん味の多い推理小説作家の「曲がった蝶番」という作品で、タイタニック号事件が重要な鍵としてからんでくる話があって、浸水してくるにつれて非常扉が次々と落ちてくる描写が生々しかったのを覚えています。
この小説のトリックは、ギョッとなること間違いなし。 コワ面白かったです。


コチラに『失われた航海』ダイジェスト版があります。 10分40秒と少し長いですが、最初から最後までを短くまとめてあります。






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《二つの願い》にご感想を寄せてくださった方、ありがとうございました!


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